大げさに言うと、生きる理由。

ひろはさ、アメリカでこうやって一人で暮らしているわけで、好きな仕事にも就けたし、好きなところにも住めて、たっぷりある自由な時間は命一杯好きなことしていられます。

人生で初めて、やっと親の資金的援助を受けずに生活できるようになりました。まさにこれが過去6年間、大学&院時代に夢見ていた目標です。それがやっと達成されて、私の生活はこの上なく充実しています。

でもさ、いっつも私の心には穴がぽかーんと開いたままなんです。だって、大切な人たちはみーんな遠くにいるんだもん。ここでどんなに素敵な時間を過ごしたって、それを大切な人と直に分かち合うことはできません。その寂しさが何をしてても一秒たりとも心から消えないんです。こっちの友達と遊んでいても、とーってもいい人たちに囲まれて仕事してても、やっぱり心が休まる(属す)というか、帰る場所がなくて、心底にある寂しさは消えることがありません。今になって日本に居たときのこと、学生時代にいつも親友が近くにいたときのことを懐かしく思い出します。なんて貴重な時間だったんだろう!今の私の生活って、本当の意味で豊かな生活なのかなあ?若いうちはこういう寂しい思いを経験しとかなくちゃいけないのかなあ?でも、今の時点で私には、こんな寂しい思いをしてまで大切な人達と離れて暮らさなくちゃいけない理由がないんです。

働き始めてばっかりで何を言ってるんだ!ってことになるので、自分なりに理由を立てることにしました。私はこれから最初のビザが切れる3年後まで、できるだけ有能な言語聴覚士になる努力をし、知識と腕を磨いていくことに命を懸けます。そして、日本の言語聴覚士になるための書類をそろえ、国家試験を受け、資格を取ります。世界中何処だって働ける技術を身につける修行をするのです。だから、家族と、親友と近くにいられなくたって、我慢しなくちゃいけないのです・・・と自分に言い聞かせている。

私の理想の生活なんて、夢でしかないんだなあー。私はまた家族と一緒に暮らすことができるだろうか?親友としょっちゅう行き来できるようになるだろうか?好きな仕事を続けていけるだろうか?多分全部いっぺんに実現するのは無理だろうね。ばらばらでも無理かもしれない。生きるということは何かを達成するために同時に何かを犠牲にしなくちゃいけないんだ。でももし、犠牲にした物が、もう戻っては来ないかけがえのない物だったらどうするの?ひろはいま、大切な人との時間を無駄にはしてないよね。ひとりでここに居る価値はあるよね。